拝啓、田中正造様

GW中、どこにも行かないのもアレなので、お友達に誘われて足尾に行ってきた。

足尾といえば足尾銅山、足尾銅山といえば田中正造
つまり、日本の公害の原点みたいな所なんです。

ところが、現地についてみるとそんなことは全くどこにも書いていない。
書いてあるのは足尾銅山は誰が開いて、一時は日本で一番、アジアで一番銅が取れていたという事ばかり。 足尾銅山観光なんて言うところに行ってみたけど、鉱山で銅を採掘している模様が人形で展示されていたり。

世界遺産を目指せ! みたいなことが書いてあるので期待していたのに…と、ちょっとがっかり。 もっとマイナスの歴史が知りたかったのよ!


そんなこんなあって、わざわざここまできたのだけど、もう良いやぁ…と帰ることにした。
今から帰れば夜ご飯はもちろん「みんみん」って事にできるからね。
ところが、車に戻って帰りの道を調べようと地図を見て、ここがいわゆる「足尾銅山」ではないことに気がついた。

ここは単に足尾銅山を観光資源とするために作られた、いわば「足尾銅山テーマパーク」みたいなところ。 実際に 「足尾銅山」 として稼働していたのは…もっと奥の方らしい。
足尾に対してすでに興味もほとんどなくなっていたけれど、せっかくここまできたので…ということでさらに山奥、足尾の本山というところへ車で行くことにした。


車でさらに山奥へ進むこと数十分。

待っていたのは死の世界だった。
不謹慎なようだけど、リアル・アッテムト。 足尾銅山の公害問題は確か明治時代の出来事だったはずなのに…。


死の世界と言っても、もちろん人は住んでる。 ただ、状況としてはほとんど廃墟に近い。 
山の禿げ方も、「採石場」みたいなはげ方ではない。 非常に不気味なはげ方だ。 これについては是非、撮影してきた写真を見て欲しいのだけど、新緑の季節なのに山の木がまばらなのだ。 多分、地元の方や支援団体の方が環境を復興させようと、一所懸命にがんばっているのだろう。 だが、それが伝わってくるだけによけい山が痛々しい。 人の無力さ、愚かさという奴を嫌でも思い知らされる。
川の水も綺麗とは言えないような薄汚れた緑色。 これも鉱山があったことの影響なのだと思う。 川の流れに目をこらしてみても…生き物など全く見当たらない。


生き物がいない、というのは恐ろしい。
人郷離れた観光地にイメージされる「静かな山奥」というのが実際にはどれだけ音にあふれているのかがよく分かる。 ここでは鳥の鳴き声、虫のざわつき…そういった音が一切聞こえないのだ。 山に登ると更に顕著。 その日は風が吹いていなかったので、目をつぶるとここがどこなのか分からなくなってしまいそうだった。 静かすぎて耳が痛くなるというのはこういう事をいうのか、と。


所々に建てられた足尾鉱山の案内板も何かおかしい。
さっきの足尾銅山観光のように、足尾の歴史、誰がここを見つけたのか、と言う表向きの歴史しか書いていない。 このはげ山のことも、この地でどれだけの人が犠牲になったのかと言うことも、全く書いていない。 まるで誰かがそれを隠しているかのように。

帰ってきてから調べたところ、足尾銅山が止まったのは、昭和、しかも戦後になってかららしい。 ここ数十年の話なのだ。
そして、今も農用地土壌汚染対策指定地域が残されている。
そんな足尾鉱毒事件には目をつぶり、本当の足尾を見せず、観光客の足止めに存在するかのような足尾銅山観光。

陰謀だとか、そういうことを言うつもりは全くないけれど、そんな世界遺産なんて僕は見たくない。