今年の一月から三月まで、自分は何をしてたんだろう。
思い出せない。
事実として言うならば、初夏(激寒だったけど)の Sense of Wonder と、夏の ROCK IN JAPAN には行ったのだから、その辺りの振込とか、申し込みとかはしたんだと思う。
でも、その程度しか思い出せない。仕事は…今と同じ事をしてたんじゃなかったかな。
記憶がはっきり残っているのは、3月11日、14時47分頃からのこと。
机の下に隠れた。室内灯が突然全て消える。机の上からパソコンが降ってきた。僕の座っていた位置に本棚が倒れてきた。
実家の無事を確認し、東海第二原発の前を二時間以上掛けて通過し、津波に襲われる直前の久慈浜を通り過ぎ、自宅のテレビが、ギターが、皿という皿が壊れているのを確認し、カミさんを連れてカミさんの実家へ向かったこと。
その夜はとても寒く、何もする事が無く、する事が出来ず、夜9時には寝てしまった。
次の日、時折ツイッターが繋がった。
ツイッターで繋がっていた人たちの安否は確認できた。
既に入ってきていた「陸前高田・壊滅」という、すぐに「失言だ!」と問題にする日本のメディアとは思えないような言葉が事の重大さを伝えていただけに、素直に身の回りの人の安否だけ確認して喜ぶ気にはなれなかったが、それでも少しはほっとした。
それからしばらく、昼は食料を探し、その日の食料を確保できたら家に戻り軽トラの上で犬とひなたぼっこをして夜を待つ、という生活を続けた。合間を見て被災地でない所に住む友人に、茨城県内の情報をサイトにまとめてもらったり、逆に外からの情報を教えてもらったり。
電気の復旧、水道の復旧。
徐々に日常は戻ってきて、カミさんの実家から自分の家に戻って、部屋を片付けた。会社が始まった。会社に水とガスは来ていなかったけど、遅れていた仕事を取り戻すべく働き始めた。
でも、頭の中はそれまでと明らかに変わっていた。別に特別じゃないと思う。あれを体験してしまって、それまでと同じに居られた人の方が少ないはずだから。
仕事中も、休憩中も。そんな大した事じゃないけど、自分には何が出来るのかを考えた。
そして、自分は偶然に生かされたのだと強く思った。
これから先、絶対に後悔だけはしないようにしたいと。
そしてやってきた、11月。ジャイコナイトのDJ募集。そして、DJレッスン。
今までなら多分踏み出さなかったと思う。でも、チャンスがあれば踏み出すって決めてた。時間なんてどうでもなる。仕事なんてどうにでもなる。使えないやつだと思われてもいいんだ。僕はもっと大きな「人生」で後悔したくない。
そして僕はそこで今まで触れ合う事の無い人と一緒になった。
クラブで HOUSE をメインのジャンルとする DJ さん。
同じように音楽が好きで、DJやりたいという二人。
そしてジャイコナイトのクルー。
お笑いの芸人さん。
これまでは遠目に見ていたライブハウスの店長。
イベントを運営する側、裏方の人たち。
一回りも違う、初回、二回目応募の若い子たち。
ツイッターではクラブの店長さんまで声をかけてくれた。
本当に、たった一歩踏み出しただけなのに、世界がものすごく広がった。
たった一歩で、世界が変わる。そんな風に変われば、世界も変わるはず。
単に今年あった事を、いまも起こり続けていること、地震の爪痕がまだ残る三陸、原発事故が全く安定的に収束していない福島を忘れない。それだけでも、世界は変わるはず。
来年も、その先も。ずっとそう。
ジャイコ水戸の皆さん、ライブハウスの皆さん、クラブの皆さん。
勿論、いつもお世話になっているコーヒー屋さんも、お菓子屋さんも、お茶屋さんも。
僕が人見知りなのであまりお話しした事無いけど、雰囲気大好きなトラットリアも。
とにかく、僕の回りに居る全ての人たちに。
2012年もよろしくお願いいたします。そして、回りの人たちだけでなく、全ての人たちにとって2012年が良い年でありますように。
年末の挨拶とさせて頂きます。
…で、間もなく、新年のご挨拶もいたします。