一番最初に茨城でご当地アイドルを始めたグループ、「しもんchu」が活動を終了した。
出会ったのは3年前、那珂市静峰公園での八重桜祭り。
昨年一年間は一緒に番組をやってきたし、公演を手伝わせてもらったこともあった。
プロデューサーの内山さんとも、色々とロクでもないこと(笑)ばかりやって来たように思う。
しもんchuが活動を始めたのは東日本大震災の年、2011年。
僕がDOTSというDJイベントの前身である、ジャイコナイト水戸に参加する1ヶ月ほど前の砂沼フレンドリーフェスティバルでしもんchuは初ステージを飾った。
それから四年。
僕自身が活動を初めた年であることを考えると長いような気もするし、短いような気もする。
ご当地アイドルの常である、メンバーの入れ替わりもあった。
最終的に二人になったしもんchuを見て、「ご当地アイドル取り寄せ図鑑」の頃が黄金期だという人もいるだろう。
ジモドルフェスタの頃、という人もいるかもしれない。
でも、それは違う。
しもんchuの黄金期は、いつも「今」だった。
常に新しいものに取り組むことで、鮮度が下がることが全くなかった。
もちろんそれは内山さんの狙いだったのかもしれないが、最後の最後までそれを実行し、実現させたのはきんぐさんとまいまいの二人だ。
僕は、結果的に二人は、最強のしもんchuとなったと思う。
きんぐさんは、もともと他のメンバーの陰に隠れてしまうことが多かった。
本人がそう言っているように、もともと前に出るタイプではなかったのだろう。
けれど、二人体制になってからはグループを引っ張っていこうとしていたし、実際、そうなっていった。
しおりんが抜けた直後のまどろみマヌーサと、最後の公演のMCを比べてみると、それがよくわかる。
そうなるまでに、表には見えない辛いこともあったと思う。
自分がこれまで過ごした時間に根ざした性格や性質を変えるのは大抵のことではない。
それを乗り越え、きんぐさんはこの一年で大きく成長した。僕は、演者としてのきんぐさんを素直に尊敬したいと思っている。
そしてまいまい。
まいまいは、僕にとって唯一無二のアイドルだった。
しもんchuはもちろんコメディグループではないけれど、まいまいの加入当初、しもんchuにそこまでクオリティの高いダンスが必要なのか?と僕は思っていた。
しもんchuの売りはライブそのものはもちろん、瞬間のぶっ飛び方だったり、他を寄せ付けない破天荒さだったからだ。
歌が上手くなくても、ダンスが下手でも、他に取り柄があればいいじゃない?と僕は思っていた。
でも、その考えを覆したのはまいまいだった。
そもそもしもんchuがフォーマットとしているアイドル本来の姿は「歌って踊れること」。その基本を僕に思い出させてくれた。
もちろん、破天荒なしもんchuは大好きだ。
でも、いつまでもそれだけでいいはずがない。
舞台に立つということは、お金をとって公演を打つということは、そういう妥協が許される世界じゃないはずだ。
まいまいは僕にそれを思い出させてくれた。
だから僕は、まいまいを見て自分自身のVJのやり方を変えた。VJとしてできることは妥協しない。
まいまいにしたって、きんぐさんと同じように辛いことはとても多かったと思う。
でも、まいまいもそれを乗り越えてしもんchu活動終了に立ち会ってくれた。
まいまい推しだから話がまいまいに偏ってしまったけど、そうして完成したしもんchu二人体制こそ、しもんchuの黄金期だったのだと思う。
そんなきんぐさんとまいまいだったからこそ、2015年の10月18日、一番輝いたままでしもんchuは幕を降ろすことができたのだ。
しもんchuは、僕にとってとても特別なグループだった。単なるご当地アイドルとそのファン、というだけではない。
僕の活動のハブの一つだったのだと思う。
しもんchuがいなければいばキラでご当地アイドルの番組を作ることはなかった。
イバラキングさん、自己批判ショーさんとここまで関わりを持ったのもしもんchuがいたからだと思う。
DigDaとも今よりもっと関わりが少なかっただろうし、ShimamuraさんとJO-KENGさんが水戸でやったP-POSITIONに呼ばれることもなかったはずだ。
だから、何か仕事をするたびに思い出すだろう。
下妻を通ることがあれば、今頃どこに?なんて考えてしまうだろう。
だけどもう、毎月第二日曜日にコンドー楽器に入っても、何もない。
しもんchuは、活動を終えてしまったのだから。
しもんchuに出会う3年前、下妻と下館の違いがよくわかっていなかった。
でも今は違う。
県南に出張があれば
「ついでにまるちゃんち(下妻)で弁当でも買っていこうかな?ドラゴンもいいね?」
ってくらい下妻のことを知っている。
砂沼が沼でも湖でもなく、農業用ため池なのを知っている。
砂沼サンビーチが茨城で一番大きいプールなのを知っている。
梨が、
オオムラサキが、
大宝八幡宮が、
ペンヤ食堂が、
コンドー楽器が、
粉とクリームが、
扇屋が、
高道祖神社が、
小玉スイカが、
「大地」のいちごが、
ふれあい公園のポピーが、
下妻の名物なのを知っている。
全部、しもんchuが教えてくれた。
今なら自信を持って言える。
下館が北、下妻は南。
そして下妻は、とてもいいところだ、と。
彼女たちが下妻にいたことは、こうして残っていくのだと思う。
僕だけでなく、しもんchuに関わった全ての人の中に。ずっと。
最後に、個人的な言葉を書いて終わりにしようと思う。
きんぐさん、まいまい。
僕は、あなたたちのことが本当に大好きでした。
ありがとう。そして、さようなら。
いつかまた、どこかで。
内山さんは…後日、僕音でお話ししましょう(笑