2011/03/11 12:53:31
"AKBなんて全然好きじゃないんだけど、そう言われると俄然気になるじゃないか!!! issou_ohuchiの携帯電話を擬人化したら『篠田麻里子』です。大事にしてくださいね。 http://shindanmaker.com/95674
数日前に大きい地震があったので、それが異常な揺れだということはすぐわかった。
同僚には「じゃ、そろそろ僕は避難しますから(笑)」
などとややふざけて言ったけれど、本当に避難しないとやばいかもと思ったのだ。
体を机の下に入れた瞬間、室内の照明が一斉に消えた。
激しい揺れ。
机の上からPCが落ちてくる。
アンカーを入れているスチール製の本棚が倒れる。
関東大震災で耐震基準ってものができてビルは倒れないのだろうけどこんな揺れちゃんと想定してるのだろうか?偽装建築だったりしたらまずいなあ。でも、走馬灯走ってないから死なないかな。
冷え切った机の足を、手が机の足になったのではないかと思うほどに強く握りしめながら、そんなことを考えていた。
時間にして数分のことだったらしいけど、その数分で世界が変わった。
なんの例えでもなく。
地震がおさまったあと、机の下から抜け出すと、先ほどとはと全く違う光景が広がっていた。
床に散乱する書類。あるべきところから移動している複合機。
社内の人はやや浮き足立っているように見えたが、マニュアルに沿って近くの公園に避難することになった。
しかし、避難はしたもののそこから先には一向に話が進まない。
上長がいないので、ここから先の対応がわからないらしい。
当然、こんな状況ではその上長への電話もつながらない。
暫く黙っていたけど、十数分たっても事態が動かないので、痺れを切らして僕は
「家が心配だからもう帰る」
と言って帰ることにした。
その時もものすごく「そうですよね…仕方ないですよね…」と、帰ることに対して「本当はまずいんだよな」というような顔をされたのが今でも思い出される。
2011/03/11 15:24:00
"だいじょうぶか!!俺は大丈夫!
携帯がなかなかつながらないのでいつものニュースサイトを見ることもできない。電気もきてなければ家に帰ってパソコンもテレビも使えない。
時折やってくるパケットでTwitterを見ることしかできない。
とにかく状況が知りたい。
どこで何が起こったのか。
いろいろ優先度をつけて考えた結果、まずは勤め先の近くにある実家へ向かうことにした。
この時間なら母親が家にいるはずだ。
自分の車が置いてある駐車場に向かうと、駐車場の壁は崩れ落ちていたが車は無事だった。
ドアを開け、キーを差し込み、勢いよくキーを回すとエンジンがかかり、カーオーディオに接続したiPodがプレイリストを再開させた。
僕は自宅に向かう前に、カーナビのメニューを開き、オーディオをオフにしようとした。
そこで目に映ったのは「AM」の文字。
そうか、ラジオなら何かやっているはずだ。
もしもラジオすら聞こえなかったら…という考えも一瞬出てきたが、もちろん他に選択肢があるわけではない。
僕はカーオーディオをAMにした。
ラジオからは、聞いたことのある声。
僕は一つ、安心した。
茨城放送はうちの親父の勤め先だ。会社が無事なら親父も無事だろう。
そして、これでちゃんと情報が手に入る。
ラジオから聞こえたのは、震源は東北であるということ。
そして、大津波警報が発令されているということ。
揺れ始まってから揺れが強くなるまでの時間、いわゆる「P-S時間」が長かったので震源はこの辺りでないだろう…と思っていたけど、震源は東北だった。
大津波警報については…このしばらく前に起きたチリ(だっけ?)の地震を考えると今のところは話半分だな…と思っていた。
情報が入り始めたことで、考えることは増えてきたが、まだ状況に対応しきれていない。
一旦、整理をつけるため、そのまま実家へ向買うことにした。
車を走らせ始めてびっくりしたのは、停電だと信号もつかない、ということ。
信号機にはUPSみたいな電源バックアップがあると勝手に思っていたのだけど、そうではないらしい。理由はあるのだろうけど、車社会ではかなりのウエイトを占めるインフラであるだけに、意外だった。
さて、信号がつかないからか、道が混雑している。
普段なら5分かからない実家への道だが、15分経っても到着しなかった。
信号のない裏道を抜けようとしても、ブロック塀が道へ倒れてきていたりして、自動車での走行ができない。結局渋滞している大通りを通るのが一番早いと結論し、ゆっくり実家へ向かう。
30分後、なんとか実家へたどり着いた。
家の被害は、大谷石の塀が一部壊れていたくらいで、幸い、家自体には大きな損傷はないようだ。
ボタンを押してもチャイムが鳴らないため、ドアを開けて声をかける。
母親は自宅にいた。
母も今仕事から戻ってきたところらしい。
話によると、弟二人も僕より先に自宅に立ち寄っており、無事らしい。
しかし父親は今日は会社ではなく東京に出張であったため、安否がまだ確認できていないとのこと。
でも、東京ならここより安全だろう。日本の首都だ。
それにここより震源から遠い。
2011/03/11 06:05:09
"電話が全く繋がらない。Twitterだけが繋がる。
唯一連絡がつかないのは祖母でそれが何より心配なのだが、笠間へ向かう余裕はない。
祖母には明日連絡してみることにして日立の自宅へ戻ることにする。
いつも日立の自宅へ戻るとき同様に国道245号を北上して行くのだが、原研前が大渋滞。
状況が全くわからないが、茨城東病院から原研前に降りてくるのに30分かかった。
2011/03/11 16:22:41
"こんな時にあれなんですが運転下手な人は大変迷惑ですな!
そこから先もずっと渋滞だったので、脇道に逸れることにした。
しかし、脇道はなぜか水が溢れている。
津波?
後でわかったのだけど、それは津波ではなく、液状化現象だったらしい。
事前にラジオで大津波警報というのを聞いていたのでそう思ったのだけど、田んぼの中に作った道だったので、液状化していたらしい。
とはいえ245号線をこのまま進んだら日が暮れてしまう(事実、茨城東病院のところにいたときはまだ日が高かったのに、原研前まで来た時点で日が暮れかけていた)このままここにいても仕方ないのでその道を突っ切り、東海第二の前まできた。
のちにわかったことだけど、この時東海第二もあまりいい状態ではなかったらしい。でも、まったくそんな事は考えていなかった。
何重もの防壁があって、万が一のことがあっても、更に万が一、更に更に万が一、その上の万が一の万が一の万が一がなければ事故にはならない。
そう教えられていたから。
2011/03/11 16:28:32
"こんな時に原発前を通って帰る俺。海沿いとおらないと帰れないしなあ。
最も渋滞していたであろう原研前は何とか通り過ぎたが、東海第二の前も道は混雑していた。
2011/03/11 16:45:17
"245、原研から原発前、大渋滞。
外は更に暗くなりつつあった。
その間、道路交通法違反を承知でいろんなところに電話をしたが全くつながらない。呼び出しすらならない。恐らく通話規制がかかっているんだろう。
僕はそこでふと思い付き、電話ではなく通話をSkypeOutに切り替えた。
SkypeOutはSkypeから一般の電話にかけることで、料金がかかるが…時折つながることがあった。
どうやら、制限は通話に対して行われており、パケットの制限は通話ほどきつくない模様。義理の母は無事が確認できた。
お互い気をつけるよう言葉を交わし、skypeを切断。
そうこうしているうち、245号で久慈川を渡るところまできた。
久慈川を渡り245をまっすぐ行けば自宅なのだが…そこから先は通行止め。警察の人だろうか、警備していた人に聞くと、大津波警報が発令されているため、海沿いは通れないらしい。
やむなく左に曲がり、山への抜け道を通り自宅へ。
自宅は電気がつかないので真っ暗だ。もちろん誰もいない。
テレビの裏に懐中電灯があったはずだ…と靴を脱いで中に入ろうとしたが、室内は食器などが割れており、全く足の踏み場もない。
そのまま土足で上がり、倒れたテレビの影から懐中電灯を探し出した。
これでひとまず明かりが確保できた。
部屋の中は想像以上にひどい。
一人でこれを片付けても仕方ないし、何より家の中にいる間も断続的に家が揺れる。さっきの大きい揺れで実はこのアパートはギリギリまできていて、あと一つ押せば崩れるのでは…などと考えてしまう。
でも、この時間違いなく僕は「ああ、これ、片づけないと」と思ったのだ。
お昼の明るい時間だったなら、僕は確実に家の片付けを始めたと思う。
でも、時間はすでに七時を回り、外は随分と暗くなってきた。
津波があった地域の人たちも同じような心境だったらしい。
津波が来るとは思わず、先の生活を考えて今のうちにできることはやってしまおう、というつもりだったのだと思う。
外がだいぶ暗くなってきて、いよいよ自分にできることがなくなってきたからだと思うけど、そういえば飯も何も食っていない。
何かないかと探してみるが、冷蔵庫の中のものは外に飛び出ていて食べられるものもほとんどない。家はプロパンだからガスは出るが、水道が出ないのでほとんどの非常食を作ることができない。
でも、コンビニも定食屋も全くやっていない。
それにしても状況が全く分からない。
とても助かるのだけれど、茨城放送は現時点で茨城県内の情報ばかりだ。
自分自身が少し落ち着いたからだろうか、より広い情報を手に入れたいと思いお始めた。
ネットもつながったり途切れたりが続いている。何よりケータイの電池が残り少ない。
この状況があと何日続くのか解らないけれど、誰かから連絡があるかもしれない。
ツイッターでの情報収集もほどほどに、その日はとりあえず寝ることにした。
時間はまだ20時。
しかし、街の灯りが全て失われた外は、昨日までの深夜よりも遥かに暗く、寒かった。
今、こうして布団に包まれていることに感謝しながら、明日を待つ。