9年間

 僕がプログラマーになろうと思ったのは、高校の時の話。

 

 16歳だった僕はパソコンが欲しくて、夏と冬に郵便局でバイトをしてパソコンを買った。

 今はない、PackardBellというメーカーのパソコン。 

 CPUは初代Pentium 100MHz、メモリは16MB。ハードディスクは1.2GB。

 読み出すだけ、書き込むことなんてできないCDドライブは4倍速。

 モニタと本体で、21万円。

 

 信じられないよね。今では。

 5万のパソコンだってちょっと買うの躊躇うでしょ?

 それが、今の数百分の一の性能だって出せないのに、20万円。

 よく買ったよね、僕も。

 

 パソコンを買って、当然プログラムを組もうと思ったのだけど…全然組めない。

 ソフトの開発環境を入れたらすぐに電卓くらいは組めると思ったんだけど、そんなに甘くはなかった。

 色々覚えることが多すぎて…やめちゃいました。 

 

 代わりに熱中したのはWebを作ったり、画像を作ったり、音楽を作ったりすること。

 PropellerheadのRB-338という、TB-303二台+TR-808をシミュレートできるソフトが出てきて、ソフトシンセがやっと出てきたころ。

 当然、今のAbletonみたいな高機能なDAWと呼ばれるものはなかった。

 代わりに似たようなことができる「MOD」というものがあって、そこにペコペコノートを張り付けて…と言っても今と違ってシンセサイザーなんてソフト上でシミュレートできないから、CDからライン録音して一部分だけ切り取ったキックやベースを張り付けて…

 なんてすごいローテクなことをしていました。今と違ってクオンタイズなんて効かないから、それはもう地道に地道に。

 

 でも、そんな事を繰り返しているうちに、漠然と「パソコンを使った仕事をしたいな」と思う様になりました。

 音楽の才能は残念ながら全くなかったのですが、パソコンというもの自体はとても水に合ったようで。

 

 ただ、肝心の就職口がない。

 大学でプログラムの勉強をして、そこそこプログラムを組めるようにはなったけど、お金がなくてバイトばかりしていたから必要な単位が取れなくて卒業できなさそう。

 卒業できないって事は、就職活動もできない。

 

 もう、25歳を超えていたし、平成不況の真っただ中だったから、このまま一生バイトとかで暮らすのかなあ…とか考えていました。

 

 

 

 

 そんなとき、ハローワークに行って登録した自分のデータをみてコンタクトしてきてくれたのが…今の会社(の前身となる会社)でした。

 就職活動なんてしてなかったし、とりあえず履歴書を作って間に合わせのスーツを着て、自信なんて全く無い状態で臨んだ面接。

 

 でも結果は、意外。

 その場で入社が決まりました。

 

 

 

 僕の人生はこの会社に救われました。

 あの時この会社に拾われていなかったら、今の僕はありません。

 

 プログラマーの自分はもちろんいなかっただろうし、VJをしている自分もいなかったでしょう。

 だから、その時面接してくれた前社長、そして今の社長には感謝しかありません。

 僕に仕事を教えてくれた人にも感謝しかありません。

 

 

 

 プログラマーとして仕事をしてきた9年間、当然仕事ですから楽しいことだけではありませんでした。

 

 発注元の都合でプログラムの仕様が変わることなんてしばしば。

 書きたくもない仕様書をたくさん書かされ、枝葉末節、どうでもいいようなところまでケチをつけられ。

 自分のせいで無い失敗で取引先の会社に夜の12時に出向き、朝の5時まで掛けて準備をし、その足で大阪に行くようなこともありました。

 

 

 プログラマーの仕事は、とにかく泥臭いです。

 パソコンに向かってプログラムを組んでいる時間は本当にわずかで、ほとんどはそれ以外のデスクワーク、ミーティングです。

 しかも、作ったものの成果が見える事はほとんどありません。

 プログラムは「動いて当然のもの」だと思われているからです。

 

 ただ、一度コードを書けばそのコードは余程の事がない限り未来永劫残ります。

 アメ車のメーカーのカーナビに乗ってるプログラムは、今も僕が書いたコードが入ってるんじゃないかな。

 大阪の方の電車(どこかは言えないけど)は、僕が作ったプログラムで今日も元気に走ってるんじゃないかな。

 それはどれもこれも、僕の誇りです。

 

 

 いい事、悪いこと、楽しい事、辛いこと、出会い、別れ。

 今となってはどれもこれも素敵な仕事です。

 

 

 未練がないわけではないのです。

 みんなは地獄だと言いますが、もう一度電車のプログラムを書いてみたい。

 結局できなかったけど、自分たちの会社でプログラムを作って、それを売りたい。

 

 

 そういう思いは今もまだあります。

 

 

 そして…残してしまう二人(二人とも、僕に残されたとも思っていないでしょうが(笑))に対しても申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 とにかく、やり残したこと、お世話になった事、上手く言えないけどそういうものがこの会社には詰まっています。

 

 でも、今日、今。

 僕はその会社の人ではありません。

 

 

 あの時、本当に何もない、ダメな自分を拾ってくれて、ありがとうございました。

 恩を返しきれないまま途中で抜けてしまうのに、何も言わずに送り出してくれて、本当にありがとうございます。

 

 感謝しかありません。本当に、感謝しかありません。

 

 

 

 本当に、本当に。

 

 

 

 26歳から35歳までの9年間。

 長い間、お世話になりました。

 

 

 ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 ムシのいいお願いだと思いますが…新しい仕事が全然うまく行かなかったら…また拾って下さい。

 

 

 

 

 ああ、本当に。

 

 

 

 

 未練たっぷりだ。