一流、二流、三流。嘘のつき方。

 超一流のゴルフ場で、そのゴルフ場の会員同士が揉め始めたらしい。

 

 一方が、もう一方に対し、あなたは紳士ではないからこのゴルフ場の会員にふさわしくない、と言い始め、それに対してお前もそうだ、という話。

 いわば水掛け論。

 

 

 ラウンジで揉めていたので、それを見たゴルフ場の職員が

 

「ここはゴルフ場ですので、ゴルフで決めるのはいかがですか?」

 

 と提案。

 

 

 少し納得いかないようだったが、ゴルフで決めるのは悪くないと、後日改めて18ホールを二人で回ることになった。

 

 

 

 さてその当日、ラウンド中もお互い一言も口を利かず(もちろん一喜一憂、お互いにいろいろあっただろうけど)18ホール終わり、勝敗が決定した。

 

 

 しかしそこで職員は

 

「お二方のラウンドを見せていただきましたが、どちらの態度も紳士とは言えませんでした。申し訳ありませんが、お二方とも当ゴルフ場の会員とお認めするわけには参りません」

 

 と言った。

 

 

 某然とし、のち、しまった、という顔の二人。

 ゴルフは紳士のスポーツ。

 

 

 そして職員はこう続けた

 

「また、ご自身を改めまして、当ゴルフ場の会員となっていただける日をお待ち申し上げております」

 

 と。

 

 

 

 

 僕、頭の中で、この職員(なのか、このゴルフ場)の対応は素晴らしいなあ…と、ちょっと背筋がぞくっとしたのだけど。

 

 

 

 

 これ、僕の作り話なんだよね。

どうしても許せないこと

 今日、本当にどうしても許し難い事があった。

 

 こういう事をここに書いてしまうのはどうかと思ったけど、あえてここにブログのエントリを起こした。

 この問題は僕としては世間に対して広く問いたいと思っている。

 

 

 

 

 今日は、予定を詰め込んだ一日だった。

 本日は午前中にラジオ出演、お昼はブラバ、そしてホームセンターで職場で使うものを購入し、職場の隅々まで掃除機をかけてからの仕事。

(いばミュー、という僕がやっている番組のCMを作成していました。本日時点では未完)

 

 

 普段出来なかった事を全て終え、家路の途中。

 

 

 「そういえば明日はイベントで比較的朝早く家を出てしまうのだっけ…」

 

 

 という事に気づいた。

 帰り道のどこかで明朝の食料を確保して帰らねば…と、考えていると職場から程近いところに以前からよく通っているパン屋があることに気づいた。

 明日の朝は菓子パンか総菜パンか。とにかく明日の朝の腹をパンモードにし、車をパン屋の駐車場に停め、パン屋へ入った。

 

 

 そこのパン屋だけではないと思うのだが、パン屋というのは本当に魅力的な商品ばかりが置いてある場所だ。

 誰もが「取り敢えず全ての商品を一つずつ」買って帰りたくなる場所、それが良いパン屋というものだろう。

 

 予算も人望もない僕は、3種類あるメロンパンを全て買いたくなる欲求を押え、クランベリーとクリームチーズのパン、カレーパン、クロワッサン、それにあんドーナツを2個買って帰る事にした。

 

 

 予算と人望のない僕が、あんドーナツだけを二つ買ったのには理由がある。

 

 

 

 明日食べる分はもちろんなのだが

 

「夜ご飯までのつなぎ」

 

としてあんドーナツを購入したのだ。(他のパンではなくあんドーナツを選んだのは、特にこだわりがある訳ではなく、単にお値段の問題だ)

 

 

 

 

 車に戻りエンジンをかけ、さて、袋から取り出したあんドーナツを食べてみた。

 

 

 

 

 

 あんドーナツが、粒あんだ。

 

 

 

 

 

 世の中で、僕が許せないものがあるとすれば「お茄子」そして「粒あん」である。

 

 

 

 

 

 

 味は粒あんの方が良い。それは僕もよくわかっている。

 しかし、口の中に放り込んだときの舌触り、歯触りといった感触はどうだろうか。

 

 

 粒あんに残る小豆の皮、あれがすべてを台無しにしてしまう。

 歯に挟まるだけならとにかく、小豆の皮が歯の表面にメッキした歯のようにぴたっとくっついた時の感触と言ったら。

 

 

 

 

 

 

 女の子とデートしていて、デートの途中、素敵な和菓子屋さんでまめ大福を二つ買って行く。

 デートで様々な場所を歩いたが、それは二人の相性がいい事しか確認させてくれなかった。

 

 女の子はその日はもう、家に帰るつもりもない。

 そして男の子も期待している。

 

 ホテルにチェックインし、おつまみに二人で一緒に選んだ豆大福を食べながら、コンビニで買って来たお酒を飲む。

 

 テレビをつけ、バラエティをみて笑いあう。

 本当に今日はいい日だ。

 

 しかし、コマーシャル中にチャンネルを変えた瞬間、テレビに映ったのはアダルトビデオ。

 

 あわててチャンネルを戻すも、その場に流れる気まずい空気。

 

 どちらからともなく見つめ合う二人。

 

 女の子が目を閉じ、それに応えるように彼女にキスをする。

 そしてその運動は少しずつ、少しずつ大胆になって行き彼女のくちびるを割って舌先が彼女の歯に触れたその瞬間

 

 

 「小豆の皮」

 

 

 

 はい、終了。

 いい雰囲気が台無しです。 

 

 

 

 

 例えば、の話ではあったが、粒あんに含まれる小豆の皮の罪深さの一端でもご理解頂ければ幸いである。

 

 

 勘違いしないで頂きたいのは、粒あんの「味」がいやなのではない。

 あの皮がいやなのだ。

 

 僕の中で餡に望む事項は

 

 味 < 皮

 

 であるからして、粒あんよりこしあんの方が嬉しい。

 

 こと、あんドーナツというのは世間一般のデフォルトは「こしあん」ではないか。

 

 

 「大福」「きんつば」「どらやき」は代表的な粒あん選手であろう。

 だからこそこの三つのものは僕は「こしあん」と明記されていない限り買わない。

 大福は好きなので、こしあんの大福を見つけた場合は、必ず購入である。

 

 

 

 

 そして逆に、こしあんの代表選手…というのがあるとすればそれは正に「あんドーナツ」ではないだろうか。異論は認めないが、そうではないだろうか?

 

 

 

 

 

 寿司屋に行って

 

「このツナ巻き、ワサビ抜きですか?」

 

 と訪ねるだろうか?

 

 

 

 

 否。

 ツナにワサビが入ってるわけないんだから、聞く必要はない。

 

 むしろツナにワサビを入れて提供するというお店があるのならば、それはお店の方が表記しておくべきだろう。

 

 

 あんドーナツも同様である。

 世間一般のあんドーナツはこしあんなのだ。 

 

 

 つまり、粒あんで提供しているのならば「このあんドーナツは粒あんです」とお店の側で明記して然るべきである。

 

 

 更にもう一つ付け加えるならば、あん業界は怠惰すぎやしないだろうか。

 

 

 おそらく、江戸時代には「こしあん」と「粒あん」の両方があったはずである。

 それ以降数百年経った現在においても、小豆あんのバリエーションは「こしあん」「粒あん」である。

 

 私が一つ提案したいのは、粒あんだが、小豆の皮を丁寧に取り除く粒あんである。

 

 

 

 粒あんを普通に作る。

 そして、作った粒あんの中に入っている小豆の皮をひとつひとつ丁寧にピンセット等で取り除いて行くのだ。

 

 おそらく、これがあんの完璧な形であろう。

 

 

 

 僕はこのパーフェクトな粒こしあんが食べてみたい。

 やろうと思えばすぐにでも出来るが、おそらくあんを使った菓子の値段が現在の数倍に高騰するはずだ。

 

 

 

 必要は発明の母と言う。

 

 僕は自動粒あん小豆皮リムーバーの開発をのぞむ。

 シャリマシーンを作ったオーディオテクニカ辺りが作ってくれそうだが。

 

 

 あ、ちなみに、あんドーナツはとても美味しかったです。

 小豆の皮もそれほど気にならなかったかな。うん。

Eye-Fi がコネクトできました!

 Eye-Fiという、無線LAN機能付きのSDカードがある。

 

 これは、かいつまんで言うとデジタル一眼レフカメラ等、SDカードを使用するカメラで撮影した写真を、ケータイにその場で転送する事が出来るカードの事です。

 

 つまり、デジ一で撮影した高画質な写真を、その場で(パソコン等を通さずに)twitterfacebookにアップできる、素敵アイテムなのですね。

 

 

 ところが、昨日までこのカードが上手く動きませんでした。

 パソコンに繋いでいるときは認識できるのに、カメラに入れると認識しない。

 

 正確には、撮った写真はカードに格納されるのに、ケータイに転送されない。

 ソフトの設定も、カードとの接続設定も正しく設定されているはずなのに。

 

 

 で、今日、久々にEye-Fiのwebサイトにある「カメラ互換性」の一覧を見たら、こんな記述を発見した。

 

f:id:brocken-r:20140412190214p:plain

 

対応はしている(○)けど…「既知の問題」?

 

で、更にその先を見て行くと…

 

Eye-Fi連動機能の搭載されていないNIKON Dシリーズをご利用の際は、こちらのFAQ記事をご参照のうえ、
カメラの設定変更をしていただきませんと、Eye-FiカードのWiFi機能が停止してしまいますので、ご注意ください。 

 

D40にはそんな機能が無いので…設定しないと!

 

 

http://eyefi.co.jp/support/faq/dear_customer_who_use_nikon_d80/

 

 

と、言う事で、Eye-Fiカードへの電源供給が6秒くらいで止まってしまうのが原因らしい。

確かに、カメラの側からはEye-Fiカードは単なるSDとして認識される訳で、単に画像を保存するだけだったらシャッター切ってから6秒もあれば十分データは保存されるからいいんだけど、保存した後にケータイまで転送しなきゃならないとなるとこれでは不足らしい。

 

 と、言う事で、半押しタイマーというのの設定を最長の30分にしました。

 

 すると…おお、転送する!転送する!

 一年以上塩漬けで単なるSDカードとしてしか使っていなかったEye-Fiが始めて光り輝きはじめ増した!これは今日はばんばんとってばんばんアップすんぞ!と。

 

 

 ところがこのモード、電力消費がハンパない。

 

 

 今まではスイッチオンにしたままの待機状態で一日以上は平気で持っていた電池が、モノの三時間で終わってしまった(汗

 

 

 Nikonの設定は結構優れてたんだなあ…と思いつつ、最適な設定を今度は見つけよう…と思ったのでありました。はい。

三年目の春

 今日、この時間で、2011年3月11日から三年が経ちました。

 

 あの地震があって、いろいろな事が変わりました。

 動き始めました。

 

 今こうやってVJをやっているのもあの地震があったからですし、今の仕事についたのもその影響です。

 

 

 こうして書くと小さい事ですが、大きい事、小さい事、誰にでも何か影響を及ぼしていると思います。

 

 

 何かを感じる、感じないに関わらず。

 

 

 

 トラックが通った時にドキッとするし、橋を歩いていると揺れが恐ろしい。

 

 

 

 三年経って変わった事、変わらない事。

 

 

 

 ご冥福を、なんてあまり言いたく無いのですが。

 

 

 

 とにかく、ずっと忘れずにいようと思います。

 

 

 

スーパーアイラブユーとすいたんすいこう

 土曜日。

 

 午前中は前日の飲み過ぎの件で半日潰し、午後から活動を開始した。

 まずは家に届いていた機材の設定。

 

 ソフトウェアがDVDで12枚組という、なんだかもう訳が分からない量では有ったがなんとかそれをインストール。

 

 その後、ペーパームーンへ、スーパーアイラブユーを見に。

 

 

 実は先日、スーパーアイラブユーはドラムの方が脱退している。

 更に…ベースの方が現在活動休止中。

 

 

 なので、片貝さんと朝日さんの二人制スーパーアイラブユーだった。

 

 スーパーアイラブユーは本当に熱いバンドだと思う。二人制でも熱い。

 見るたびに変化していて僕は戸惑ってしまう事もあるけれど、根底に流れているのがしっかりしているので、決して裏切られる事はない。

 その日その日のパフォーマンスに上下はあるのだろうけれど。

 もちろん完璧なパフォーマンスならはよりいいのかもしれないけれど、僕は気持ちが乗った歌が聴ければそれが一番嬉しい。

 

 幸い、そういう意味でスーパーアイラブユーを見に行って外れた事はない。

 

 

 出番の後、片貝さん、朝日さんと少しお話をした。

 片貝さんとはもちろん音楽の話、水戸の話、茨城の話。

 多分本当に話しはじめたら止まらない話をした。

 

 

 本当、今度飲んで話しましょう。

 

 

 

 その後、ペーパームーンでのイベントが終了後、すいたんすいこうのマネージャー業へ移動。
 皆さんご存知すいたんすいこう現地マネの某BBAがインフルエンザで倒れたとの事で、急遽対応。

どうやら結婚式の二次会MCらしい。

 

 それも終わり、全ての予定が完了したのは23時過ぎ。

 帰りに和食喰ってから帰りましょう、という流れになったので、お箸ガストへ。

 

 この時間に食べる和食、物凄く美味しい。
 特にみそ汁が日本人のソウルだな、と思います。

 是非皆さんも、ライブの後は和食へ!

さよなら歌姫(しもんchuの話)

 年度末。別れの季節です。

  

 別れが寂しい理由はなんだろう、と考えてみました。

 

 

 

 出て行く側にしてみれば、自分のいた場所がぽっかり空いてしまう。

 時間が経てば誰かがそこを埋めてしまうという寂しさ。

 

 残る側にしてみれば、自分の一部だった人がいなくなってしまう。

 そしてその隙間が埋まっていないのにその人はどこかで新しい生活をはじめてしまう。

 

 恋愛という関係だけではなく、全ての出会いと別れがそんな理由で悲しいのかもしれないなあ、なんて思いました。

 

 

 

 

 

 

 僕が大好きなご当地アイドル、しもんchu。

 

 結成当初からメンバーとして活動していた「ゆいにゃん」そして「まりちゃん」が本日の定期公演をもってしもんchuから卒業となりました。

 

 

 

 色々考えましたが、やっぱりこの言葉が出てきます。

 

 

 

 別れは寂しいです。

 

 

 

 

 

 僕は元々ご当地アイドルは好きじゃありませんでした。

 そもそもアイドルが好きじゃありませんでした。

 

 

 曲というものは、作る人の気持ちが入るものです。

 ならば、曲も歌詞も、作った人が歌えば一番リアル。

 作った人が歌わないなんて、ナンセンスじゃない?

 

 

 

 多分アイドルが苦手な人は、僕と同じ様な事を思っていると思うのです。

 

 

 

 

 でも

「アイドルに歌わせる事を前提に、アイドルが歌った時に一番映える様な曲」

 と、作っているとしたら?

 

 

 

 こう考えが転換したのもしもんchuと出会ったおかげです。

 

 

 

 

 ご存知の通り、僕の推しは「しおりん」です。

 でも他のメンバーだって大好きです。

 

 

 

 きんぐさんは、すごく素直な人ですね。

 どれだけ隠そうとしても、内面がすぐに表に出ます。

 とても仲間想い。他人の気持ちを第一に考えられる人なんだろうな、と思います。

 

 

 

 まりちゃんは、ふわふわしているように見えますけど、完全に安定感の人です。

 ステージにまりちゃんが立っているだけでどれだけ安定感(安心感)が増すか。

 メンバーの暴走があっても安心してみていられるのはまりちゃんが逆の方向に暴走する事があるからです(笑)

 

 

 

 ゆいにゃんも、表ではきんぐさんへのいじりがきつかったりしますけれど、愛がないと出来ない事です。

 信頼していなければ単なる悪口になってしまいますし、もしそうだとしたら見ている側に簡単に分かってしまいます。

 仲間を誰より大事にしているのかな、と思います。

 

 

 

 だから、ゆいにゃんが言ったという「仲良しごっこじゃねえんだよ」という言葉。

 そんなゆいにゃんだから言えた言葉なのでしょう。

 そしてメンバー全員、しもんchuがみんな好きなんだろうな、と思います。

 

 その言葉が統括者や運営側から出るのではなく実際に動いているアイドルから出て、そういう風に衝突出来るのもそれが許されるのも、お互いを信頼しているから出来る事です。

 

  うまく言葉にできませんが、実際にどのステージを見てもそう思いますし、NO IDOL NO FUTURE等で舞台裏を見てもそう思います。

(今日のステージについても、新メンバーのまいまいもしもんchuの事が大好き、というのがよくわかるものだったので、まいまいが新メンバーで本当に良かったと思います)

 

 

 

 だからこそしもんchuの公演はライブ感がすごく強い。

 お互いを信頼しているからどんな無茶ぶりも無茶にならない。ファブ・ファイブ(最強の5人)だと思います。

 

 

 そんな五人だけど…まりちゃんとゆいにゃんは今日で卒業なのです。 

 自分の中にあるものが上手く出せないですね。

 気持ちが表現できない。

 

 気持ちよく送ってあげたいという気持ちはもちろんあります。

 もったいないという気持ちも少なからずあります。

 

 

 

 でも、お別れは言わなきゃなりません。僕がどう思っても、二人の卒業は変わらないのですから。ならば、精一杯頑張って気持ちよく送り出してあげたい。

 

 

 

 まりちゃん、ゆいにゃん、2年半の間、本当にお疲れさまでした。

 そして二人を待つこれから先の人生が、楽しいものであって欲しい、と心から願います。

 

 

 

 

 

 

 

 今日の公演の最後に内山Pがかけた曲は、クリープハイプの「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」でした。

 これもしもんchuが大好きだからかけられたのだと思います。

 最後にその歌詞を。

 

 

おやすみ泣き声、さよなら歌姫

 

さよなら歌姫 最後の曲だね 君の歌が本当に好きだ

今夜も歌姫 凄く綺麗だね 君の事が本当に好きだ

 

さよなら歌姫 アンコールはどうする 君の事だからきっと無いね

それなら歌姫 アルコールはどうする 僕は全然飲めないけど

 

歌声 歌声 でも君は泣いていたんだね

泣き声 泣き声 僕は気づけなかった

 

僕も随分年をとったよ こんな事で感傷的になってさ

今なら歌姫やり直せるかな 君はいつも勝手だ

 

歌声 歌声 でも君は泣いていたんだね

泣き声 泣き声 僕は気づけなかった

 

最後の4小節 君の口が動く

最後の4小節 君が歌う

最後の4小節 君の気持ちが動く

さよなら

 

歌声 歌声 でも君は泣いていたんだね

 

無き声 無き声 僕は気づけなかった

 

 

9年間

 僕がプログラマーになろうと思ったのは、高校の時の話。

 

 16歳だった僕はパソコンが欲しくて、夏と冬に郵便局でバイトをしてパソコンを買った。

 今はない、PackardBellというメーカーのパソコン。 

 CPUは初代Pentium 100MHz、メモリは16MB。ハードディスクは1.2GB。

 読み出すだけ、書き込むことなんてできないCDドライブは4倍速。

 モニタと本体で、21万円。

 

 信じられないよね。今では。

 5万のパソコンだってちょっと買うの躊躇うでしょ?

 それが、今の数百分の一の性能だって出せないのに、20万円。

 よく買ったよね、僕も。

 

 パソコンを買って、当然プログラムを組もうと思ったのだけど…全然組めない。

 ソフトの開発環境を入れたらすぐに電卓くらいは組めると思ったんだけど、そんなに甘くはなかった。

 色々覚えることが多すぎて…やめちゃいました。 

 

 代わりに熱中したのはWebを作ったり、画像を作ったり、音楽を作ったりすること。

 PropellerheadのRB-338という、TB-303二台+TR-808をシミュレートできるソフトが出てきて、ソフトシンセがやっと出てきたころ。

 当然、今のAbletonみたいな高機能なDAWと呼ばれるものはなかった。

 代わりに似たようなことができる「MOD」というものがあって、そこにペコペコノートを張り付けて…と言っても今と違ってシンセサイザーなんてソフト上でシミュレートできないから、CDからライン録音して一部分だけ切り取ったキックやベースを張り付けて…

 なんてすごいローテクなことをしていました。今と違ってクオンタイズなんて効かないから、それはもう地道に地道に。

 

 でも、そんな事を繰り返しているうちに、漠然と「パソコンを使った仕事をしたいな」と思う様になりました。

 音楽の才能は残念ながら全くなかったのですが、パソコンというもの自体はとても水に合ったようで。

 

 ただ、肝心の就職口がない。

 大学でプログラムの勉強をして、そこそこプログラムを組めるようにはなったけど、お金がなくてバイトばかりしていたから必要な単位が取れなくて卒業できなさそう。

 卒業できないって事は、就職活動もできない。

 

 もう、25歳を超えていたし、平成不況の真っただ中だったから、このまま一生バイトとかで暮らすのかなあ…とか考えていました。

 

 

 

 

 そんなとき、ハローワークに行って登録した自分のデータをみてコンタクトしてきてくれたのが…今の会社(の前身となる会社)でした。

 就職活動なんてしてなかったし、とりあえず履歴書を作って間に合わせのスーツを着て、自信なんて全く無い状態で臨んだ面接。

 

 でも結果は、意外。

 その場で入社が決まりました。

 

 

 

 僕の人生はこの会社に救われました。

 あの時この会社に拾われていなかったら、今の僕はありません。

 

 プログラマーの自分はもちろんいなかっただろうし、VJをしている自分もいなかったでしょう。

 だから、その時面接してくれた前社長、そして今の社長には感謝しかありません。

 僕に仕事を教えてくれた人にも感謝しかありません。

 

 

 

 プログラマーとして仕事をしてきた9年間、当然仕事ですから楽しいことだけではありませんでした。

 

 発注元の都合でプログラムの仕様が変わることなんてしばしば。

 書きたくもない仕様書をたくさん書かされ、枝葉末節、どうでもいいようなところまでケチをつけられ。

 自分のせいで無い失敗で取引先の会社に夜の12時に出向き、朝の5時まで掛けて準備をし、その足で大阪に行くようなこともありました。

 

 

 プログラマーの仕事は、とにかく泥臭いです。

 パソコンに向かってプログラムを組んでいる時間は本当にわずかで、ほとんどはそれ以外のデスクワーク、ミーティングです。

 しかも、作ったものの成果が見える事はほとんどありません。

 プログラムは「動いて当然のもの」だと思われているからです。

 

 ただ、一度コードを書けばそのコードは余程の事がない限り未来永劫残ります。

 アメ車のメーカーのカーナビに乗ってるプログラムは、今も僕が書いたコードが入ってるんじゃないかな。

 大阪の方の電車(どこかは言えないけど)は、僕が作ったプログラムで今日も元気に走ってるんじゃないかな。

 それはどれもこれも、僕の誇りです。

 

 

 いい事、悪いこと、楽しい事、辛いこと、出会い、別れ。

 今となってはどれもこれも素敵な仕事です。

 

 

 未練がないわけではないのです。

 みんなは地獄だと言いますが、もう一度電車のプログラムを書いてみたい。

 結局できなかったけど、自分たちの会社でプログラムを作って、それを売りたい。

 

 

 そういう思いは今もまだあります。

 

 

 そして…残してしまう二人(二人とも、僕に残されたとも思っていないでしょうが(笑))に対しても申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 とにかく、やり残したこと、お世話になった事、上手く言えないけどそういうものがこの会社には詰まっています。

 

 でも、今日、今。

 僕はその会社の人ではありません。

 

 

 あの時、本当に何もない、ダメな自分を拾ってくれて、ありがとうございました。

 恩を返しきれないまま途中で抜けてしまうのに、何も言わずに送り出してくれて、本当にありがとうございます。

 

 感謝しかありません。本当に、感謝しかありません。

 

 

 

 本当に、本当に。

 

 

 

 26歳から35歳までの9年間。

 長い間、お世話になりました。

 

 

 ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 ムシのいいお願いだと思いますが…新しい仕事が全然うまく行かなかったら…また拾って下さい。

 

 

 

 

 ああ、本当に。

 

 

 

 

 未練たっぷりだ。